ロードバイクが人生を熱くする

貧脚でなにが悪~い!貧脚ヒルクライマーが最初に目標にすべきものとは?

2018年11月28日

貧脚とは?

という意味深なタイトルで始まった今回の記事ですが、貧脚について書いてみます。

貧素な脚という事で貧脚なんだそうですけど、この記事のURLをちょっとみてください。

https://bestcyclist.com/training/poor-regです。

このpoor-regという部分は、毎回記事をUPする度にその記事のタイトルに合わせて自分で付けるんですけど、貧脚をgoogle翻訳で英訳してみたところ、poor(貧素な)leg(脚)と出ましたので、なるほどな~と納得した次第です。

この私めも相当な貧脚でございます。

今回の記事はそんな貧脚についてなんですけど、誰しも貧脚が良かれと思っている方はいらっしゃらないでしょう。

しかしながら、その貧脚振りを恥じることなく、とにかくペダルを回しましょうという今回の記事。

あまねく日本全国の貧脚の皆様、そしてその貧脚ファンの皆様(居ない!?)、そして貧脚である自分に対してのエール的な事を書いてみたいと思います。

 

 

そもそもの私の生い立ち

まず最初に、これだけは信じて欲しいんですけど、自分がロードレースデビューをした18歳当時、岩手県八幡平市の安比高原で行われた ”ツールド盛岡ステージ安比” において、初心者の部で9位入賞(当時は10位まで表彰のユルユルでした)で表彰台を経験しているんです。もう25年前ですけどね。

現役当時はそれなりに速かったんですけど、それから20年近くロードバイクからはなれてしまったが為に、脚はすっかり錆びつき貧脚と化してしまったのです。

その空白の20年の間は喫煙はするわ、慢性的な運動不足で、食事は不摂生だわ、いま現在とはかけ離れた生活習慣でございました。

でも、やっぱりロードバイク(MTBも)が忘れられなくて2年ほど前から復活し、いま現在こうして自主トレやらレースやら頑張っているのですが、自分自身が置かれたこの貧脚状況を少しでも速く打破すべく、持論をこのブログにぶつけている次第です。

だから見る人が見れば、「貧脚のクセに何を理論ぶってるんだ!?」とのお怒りの声も頂戴して然りと思います。

ただ、ブランクはあったもののキャリアは長いので、それなりのノウハウの蓄積はあります。

だからこんな記事を書いていますので、その点はご理解の程お願い致します。

 

 

貧脚であるが故のプレッシャー

貧脚人間は誰しもプレッシャーを感じているものなのかも知れません。

ヒルクライムレースの直前にそれは容赦なく襲ってきます。

 

貧脚サイクリストのレース前の悲しい瞬間

誰しも自分が貧脚であると感じているのならば、その貧脚という事実から少しでも速く離脱したいと考えるはず。

ロードバイク乗りにとって、貧脚とはある意味屈辱的な言葉です。

脚が勝負のロードバイク乗りが「自分には脚がない」と言っている訳ですから。

しかし、私もそうであるように、始めて会う人に対して「自分は貧脚です」と言い放つ事自体が、ごくごく当たり前となってしまっています。

己が貧脚であることを相手に対して宣言することで、精神的なプレッシャーから開放されようとする魂胆です。

しかし、これがレースの場面ともなると、ライバル選手に対して最初から白旗を降っているようなものとも捉えられ兼ねません。

 

 

確かに、レースでスタートラインに並び、いざスタートの瞬間を待っている間の緊張感はたまりませんが、貧脚であるが故にスタート直後にはこの集団からひとり取り残され一人旅になるであろう事実を想像すると、いたたまれない気持ちと化すのです。

貧脚であるが故の悲しい性なのでしょうか。

いやいや、でもその貧脚を性と認識してしまっては人生おしまいになってしまいます。

性(さが)とは、生まれつき とか 天性てきな とか、そんな意味を指しますから、貧脚は生まれつきのもので一生治らないものだと思い込んでしまう危険性があります。

 

何故、あなたは貧脚なのにレースに出るのか?

ここで自問自答してみます。

 

では、どうして貧脚なのにレースに出るのか?

 

人と競う事を諦めた瞬間から人間の退化は始まる

 

という解釈から来ています。

つまり、レースに出る理由は、自分の今の実力を知るためです。

このクラスの何十人の中でのリザルトを見れば、今の自分の大体の実力が分かるはずです。

決してレースに出場する人全てが表彰台を狙ってるとは限らず、少なからず過去の自分のタイムを目標にしている方だっています。

純粋に完走のみを目標にしている方も居るはずです。

だから、目標は人それぞれ別であって然るべきものだと思います。

 

何も表彰台に上がりたいわけでもない。でも、どうせやるからには表彰台も目指したい。

それが無理でも、せめて人並みの脚を持ちたい。

脱貧脚を目指したい!と思うのが貧脚サイクリストの共通の悩みなのかも知れません。

 

 

競うだけが自転車の楽しみかたでは無いけれど

なにも人と競う事だけが自転車の楽しみじゃないし、単に一人で日本一周したりロングライドしたりイベント専門の人だって居ます。

でも、自分は人と競う事で自分を奮い立たせ、自らが設定した目標に向かって己を磨きたいと思うのです。

たとえ貧脚であっても、自分自身の目標がブレていなければ1つも恥じることも無いし、誰に迷惑を掛ける事も無い訳だ。

 

貧脚なのにどうしようもないくらいヒルクライムが好きな人だっているんです。

私もそうです。

言葉で上手く説明出来ませんが、ヒルクライムが好きです。

ヒルクライム以上に達成感を味わえる瞬間が実生活の中で乏しいのも要因の1つかも知れません。

だから、色んな楽しみかたの出来るロードバイクなので、”貧脚で良い”というのなら貧脚のままでも良いのかも知れません。

でも、私は少しでも早くその貧脚から脱したいとトレーニングから減量からを施している一人でもあります。

 

 

貧脚クライマーが最初に目指すべきもの

貧脚のヒルクライマーは一体何を目標に取り組めば良いのでしょうか?。

やはり、ヒルクライムは自分自身との戦いです。

だから、最初に目指すべきは過去の自分のタイムで良いんだと思います。

走る度に自己ベストを更新し続けられればベストかも知れませんが、調子の悪い時、疲労が残っていてベストコンディションじゃない時、いろいろあると思います。

コンディションが悪ければ、何故コンディションが悪かったのかを考えて次に活かせばいいだけの事です。

疲れが残っていれば、レース前にオーバートレーニングでは無かったのか?など、あらゆる角度での反省が可能です。

そうして調整というものを覚えて、食事管理、体重管理、体調管理が出来て、日々のトレーニングが実力として実ったときに初めて、自己ベストを更新出来るものであると思います。

その自己ベストが他の人よりも優れていれば表彰台というご褒美が待っている。

つまり、正しい方向に自分自身を導きながら、人より多く走って自分自身を変えられた人だけが表彰台に登れるものなのだと思うのです。

 

 

まとめ

今回のブログは貧脚貧脚ってちょっと言い過ぎましたね....。

でも、全ては自分自身に言い聞かせながら書いてますので、どうかお気になさらないで下さい。

とあるサイトでは、自らを「貧脚」と名乗る人たちは自己防衛の現れだと表現していました。まさに仰る通りです。

でも、この記事で私が言いたいのは、過去の自分のタイムを更新し続けていくことで、気がついたら人と同じレベル、もしくは人並み以上に速く走れるようになっている自分にたどり着くために、頑張って行きましょう!という事で書いています。

貧脚という言葉を自ら発する、文章にする事自体がタブーであるのなら、はやくその貧脚と言わざる状況から脱せられるように人一倍努力すればいいだけの話。

貧脚と名乗ることをやめるのはそれからでも遅くないと思います。

 

文中にも書いたように、ロードバイクの楽しみ方は競う事だけではありません。

でも、この記事を読んで下さっている皆様はきっと、人と競う事がすきな人種であると判断したいところです.....笑。

ロードバイクという機材を使って、人と競って、己を磨き上げるというのは、他のスポーツに比べてもとてもやりがいのあるスポーツでもあると思います。

まず自転車が半端なく高いので、ハンパな気持ちではロードバイクなんか買えないですもん。

こんな金の掛かるスポーツは無いなってホント思います.....。

お財布が大変ですよね。

 

もしも、今ヒルクライムに一生懸命取り組まれていて周りにお友達が居ない方とか居ましたら、今後も応援させて頂きますのでコメント欄などでご一報下さい!。

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それでは、よいライドを。

 

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